2007年12月14日金曜日

Carl's Jr.

1990年前後、箕面市稲に一軒、梅田GARE内に一軒、Carl's Jrバーガーがあった。

少々値は張るがあじ、ボリュームともにまさにアメリカンなハンバーガーショップで、とても気に入って、利用してた。

たしか93年ごろにはお店はなくなっていたように思う。
今でも時々食べたくなる、濃い目のバーベキューソースとカリカリベーコン、でかいパティ。。。

いまなら6Dollar Burger を1個買うともう一個プレゼント。僕でもちと多いかな。
http://www.carlsjr.com/coupon/burgerslayer.jpg

リンク: Carl's Jr..

2007年12月6日木曜日

職業倫理 矜持

リンク: 株式会社吉野家ホームページ.

リンク: <吉野家>アルバイト店員2人を処分 山盛り豚丼動画(毎日新聞) - Yahoo!ニュース.

「テラ豚丼」動画事件での吉野家のアクションは抜群に早かった。そして適切だったとおもう。

「ゆとり」以降の世代に「職業倫理」なんて、辛気臭くて理解できないといわれるのがおちなのであれば、公開の上でばっさり処分するしかない。

 

業界を問わずたくさんの偽装が発覚し、連日「あそこもか!」の声を上げて新聞記事を繰る。Webニュースをたどる。

偽装はいけない。 発覚後の責任転嫁はもっといけない。

これは関連のニュースで一番の骨子。

そろそろ議論が盛んになりそうなのが、内部告発が大流行しているという事実。

なにも今でなくても十分にタイミングはあったのに、ニュースに刺激されて正義(?)が芽生え、マスコミや外部機関にリークする。。

かわいそうな社長さん。

自分の会社の従業員に内部告発され、外部から調査を受け、不備や不正が明るみに出て法の裁きを受けるのと、従業員からの進言で自ら会見を開き、説明し、謝罪し、罰を受けるのでは、天と地ほど違う。

正義と愛社精神をきちんと兼ね備えた賢明な社員なら、内部に不正があることを社長にきちんと認識してもらい、会社として是正出来るよう知恵を絞り、社長自ら、内部に不正があったことを発表するよう進言するべきだろう。

修行時代にある人から教わった。仕事の上でのたとえであるが、「殺したらあかん。こかすのは、時には仕方ないこともある」

罪を犯してしまった人を公衆にさらし、贖わせることより、罪を犯さぬよう、罪をいまより大きくしてしまわぬように知恵を使うのが、教養のある人間のすることだろう。

闇討ちで不正をリークするというのは「罰する」ことに主眼を置いたアクションで、また、これまでの雇用関係を無視した人間性の低い行いだと感じる。

それよりも、いま、不正や不適切な事情を抱える会社の従業員に求められるのは、法に照らして不正をきちんと認識し、代表者ともども、信用を裏切ったことの償いをする勇気ではないか。

松下幸之助の言葉にもある。会社が間違っていると思ったら、とことん反対せよ。間違っていると思いながらそれを行うぐらいなら、黙して会社を去れ というような意味のこと。

恐れずに経営者に進言するのは情熱と誠意がないと出来ることではない。簡単ではない。しかし、それだけの誠意さえもてないのなら、その会社を去れと。

 

たたいてひとつもほこりの出ない会社などあるのだろうか?

 

さあ、あなたならどう行動するか?

 

博多もんな横道もん ~読めば納得!博多弁講座 より~

リンク: 焼酎の本場・九州・博多のよか酒屋「三宗酒街道」 ★読めば納得!博多弁講座★.

博多もん云々が気になって調べてると、なんとも惹かれる博多言葉のまとめ。

先の言い回しはこんな意味らしい。

博多っ子気質はどこか江戸っ子と似たものがある。それを言うのが「博多のもんな横道もん青竹割ってへこにかく」だ。

第三者が皮肉に言うのではなく「博多の者が横道(横着)者であることは天下公認の事実。あたき(私)だちは青竹をへし割ってふんどしに締めてみせるぐらいの心意気ば持っとるばい」と自分で意気込んでいるのだが、これまた冒頭の江戸っ子気質同様「へこの銭ぁ払いきらん」と落ちがつく。

 

 

もっと気に入ったのが、こう。

タダ酒に酔うもんな博多のツラよごし

にぎやかにパッとやる博多の宴会だが、よく観察すると客は主催者側に「こんなに楽しく頂戴しております」と、御礼の気持ちを込めてにぎやかに飲むふうが見られる。

招く者、招かれる者、互いに相手の気持ちを汲みあって楽しく運ぶ---宴会だけでなく、博多の生活習慣に共通して流れる心根でもある。

だから、招待された酒の席で、およばれ酒に度をすごして醜態を見せるのなんかは、もってのほか。節度を重んずる博多っ子の名にかけて許せないと、こんな戒めの言葉となって受け継がれる。

博多どんたく、祇園山笠など、町内の寄り合いで酒の席になることが多いが、博多の男たちは若いうちからいやというほど、この言葉を聞かされて育つ。宴会を締めくくる祝い歌や手一本に、ロレツが回らなかったり腰が立たなかったりしたら、それこそ末代までの恥じとなる。

とな。

何のきっかけでそうなったのか、博多はじっくり過ごしてみたいまちである。

仕事と家さえどうにでもなれば、住んでみたいまちである。

同じ福岡の飯塚に縁があって二度行った事があるが、やはり福岡はいい。

酒と人情に味わいが深い感じがして、とても惹かれる。

2007年9月25日火曜日

血と骨

これもリアルで迫力のある映画。

主人公の、己の欲のみを軸とした暴力的な生涯。それに巻きこまれ、翻弄され、あるいは捨てられ、葬られてゆく人々の、救いようのないような凄惨な人間模様。

眼を背けたくなるような光景でもリアルと感じたのは、ここまでひどくは無くてもよく似た人々を私が知っていると感じたからか。

「えげつない」という形容詞がこれほどしっくり来る男にはなかなかお目にかからない。

この映画をとおして崔監督が観客に伝えようとしたのは、あるいは複数の民族の眼から複眼的に見たリアルな昭和史であり、あるいは単純に、狂気と暴力に満ちた男のものがたりを媒体に、そうしなければ生き残れなかった時代を現代に投影するなにがしかのメッセージかもしれない。

全体を貫く昭和のイメージは、窓から差し込む日の光、深夜の路地の闇のいろ、ふすまの質感、そんなディテールの忠実さで見事に表現されていた。

余計なことを考えずに、偏見を持たずに観るなら面白い映画。

2007年9月24日月曜日

朋有り、遠方より来る

シュールなおにぎり青年だったJさんが東京に行ってしまってしばらくたっているが、先日、大阪に立ち寄る旨知らせてきてくれた。忘れず声をかけてくれたことがうれしい。久々に会って話すと、とても充実した時間に。
東京では彼の持ち前の誠実さが光り、順調に前向きに仕事が進んでいるようで、聞いているこちらも楽しくなった。私の近況も話すと同じように彼はよろこんでくれ、お互いのポジティブ材料になった。

この記事につけたタイトルをググると、こんな解説が。

『朋有り、遠方より来る、亦悦しからずや』(ともあり、えんぽうよりきたる、またたのしからずや)と読みます。
『朋』は、『同じ先生について学んだ者』という意味です。
訳は、『同じ先生の下で学んだ学友が久しぶりに遠くから、訪ねてきた。話し合ってみると、あのころよりもお互いの学問が進んでいることがわかって、何とまあうれしいことよ』です。

『悦』の内容は、先生の下から離れて、互いに研鑽を重ねて学問が高い境地に『お互いに』到達していたことを喜び合っているのです。

しばらく会ってない間にお互い仕事がうまく行っていて、それを素直によろこびあえた、まさにこんな情景だったにちがいない。

2007年6月28日木曜日

将の将たるか

「背水の陣」で有名な漢代の武将、韓信。
時の漢王、劉邦に重用された彼の、たくさんのエピソードの中に、こんなものがある。

劉邦はよく韓信と諸将の品定めをしていた。劉邦が韓信に「わしはどれくらいの将であろうか。」と聞いた所、韓信は「陛下はせいぜい十万の兵の将です。」と答えた。劉邦は「ではお前はどうなんだ。」と聞き返したところ、「私は多ければ多いほど良いでしょう。」と韓信は答えた。劉邦は笑って「ではどうしてお前がわしの虜になったのだ。」と言ったが、韓信は「陛下は兵を率いることが出来なくても将に対して将であることができます。これは天授のものであって、人力のものではありません。」と答えた。(ウィキペディアより)

歴史上の有名な武将や指導者の言葉に関しては様々な解釈や議論がつきものであるが、松下幸之助の「指導者の条件」の中での解釈は、以前書いた「フォロアーシップ」の観点に共通する部分がある。松下翁の解釈をさら僕なりに解釈するとこうだ。

人の上に立ち、物事を成し遂げるには、自分の部下に対してすべての面で勝っている必要は無い。個人の力の優劣と組織のヒエラルヒーを無理に重ね合わせず、自分の部下が最大限に実力を発揮できるように、上手に指導できることこそが大切なのである。

上司や将は、自分より優れている分野を持つ部下を恐れるのではない。その力を借りて組織全体の功績をさらに大きくすることが、その部下にとっても、組織にとっても、ひいては社会にとっても有益なのだということを、よく部下に説き、心置きなく力を発揮させる。そのことが大切なのである。

部下や臣(兵)は、自分の上司が自分よりも劣る面があるからといって、小さく評価したり、見くびったりするのではない。自分の得意分野での活躍を上司に提供することで、上司の影響力、指導力をさらに向上させることができる。上司がリーダーシップを果たす助けになることで、自らを高めることになるのである。

ボキャブラリ足らずで誤解を生む文章になっているかもしれないし、松下翁の書いた本来の趣旨から見ると拡大解釈になるが、劉邦と韓信のやりとりについては、私はおよそこのように解釈している。ドラッカーの言う「役割としてのリーダーシップ」もここに通じるものがあるのではないかと思う。

いろいろ書いてきましたが、ことリーダーシップやフォロアーシップ、組織論、人材育成に関しては、このサイトを訪れる諸兄のご意見を聞かせて頂いていて、さらに考えを深めることができたら、非常にうれしく思います。

2007年4月8日日曜日

仁者無敵

リーダーシップ論やフォロアシップ論のまえに、自覚 という言葉をもう一度復習しよう。

自分の感覚はもちろん自分にしかわからないが、自分が今どのように振舞っているか、周りの人たちとどのように和しているか、それとも困らせているか。この一年でいろいろと教わることもあり、今まで無かったような大きいものを任せてもらって、やりがいと達成感はかずかず得てきたが、適時振り返って自分を含む周囲を俯瞰し、一歩外側から冷静に判断する、自分を客観的に見ようとする そういうことができていたか。

否 である。

今気づいたのが遅すぎると考えると後ろ向きだろうから、じゃあここからどうやって盛り返すか。論ずるは易し である。人に道を説いている場合ではなかった。ましてや、進んで人の指導を買って出るようなところまで成長してはいなかった。とても恥ずかしい気持ちになった。

心に留めたい言葉があったので残しておこう。

    「仁は人の心なり、義は人の道なり」:孟子
    仁とは人が人としてもたなければならない"良心、真心"、義とは人が人として踏まなければならない"正しい道"である。

    仁とは相手をおもんばかる心、かわいそうだと思う憐憫(れんぴん)の情であり、そうした仁があるからこそ、義としての善悪の判断がつくのである。
    「義をみてせざるは勇なきなり」で、何が義であるかを決めているのは、人間としての思いやり、慈悲の心である。
    弱きを助け強きをくじく行為は義侠心といわれるが、これとてその根底にあるのは思いやりの心である。

    「義に過ぐれば固くなる。仁に過ぐれば弱くなる」:伊達政宗
    仁は優しく、母のような徳である。高潔な義、厳格な正義を、特に男性的であるとするなら、慈愛(仁)は女性的な性質である優しさと、さとす力を備えている。私たちは公正さと義で物事をはかるばかりでなく、またむやみに慈愛に心を奪われでしまうことのないように教えられている:「武士道」新渡戸稲造
    武士たる者は、「智」によって「仁」と「義」のバランスをとり、どちらかにかたよりすぎてもよくない、と教えられたのである。

    「武士の情け」
    武士にあっては、たんに女性的な慈愛ではなく、正義にもとづいた"厳しい愛"でなければならないといっている。儒教では人間の行うべき徳のトップに「仁」を置いているが、武士道では支配階級としてより困難な「義」を筆頭に持ってきたのである。

いま、なぜ「武士道」か  岬龍一郎 致知出版社

引用の引用になってしまっているかも。

軍隊式に会社の組織を統率する必要はまったく無いが、統率に関して一番よく研究されているのは軍隊に違いないので、その理論は十分応用できる。少なくともリーダーシップにおいては、習うべき武将の行いや判断がたくさんある。

そんな、名将の言葉や行動をまとめたのが松下翁のいくつかの著書になっている。読むと非常に勇気付けられる。

上の引用の話に戻すと、自分の進め方が、非常に「仁」に寄った部分と必要以上に「義」に寄った部分があるのに気づいた。遅くは無いと思うので分析と軌道修正に励むことにする。

生家に古い大きな書があった。幅1600ぐらいあったろうか。縦は400ぐらいだろうか。額縁のついたその大きな書には、「仁者無敵」とあった。聞くと祖父は時代の生命保険業界で有名な営業マンだったらしい。祖父の部屋に大きく掲げてあった。そんな大きな書を掛けられるほど、鴨居の上は高かったし、部屋は広かった。
父にその意味を尋ねたのはたぶん小学2~3年のとき。「人間的にやさしくて思いやりのある人は、世の中で一番強くて偉い ちゅう意味や」と、たしか、当時35歳ぐらいだった父は私に教えてくれたと記憶している。

心に深く残るこの言葉によって、以後の人生で、やさしいことが最大の美徳と信じるようになったのだと思う。

2007年3月21日水曜日

まさに悪夢

Dsc00039 ほかの方も結構RB25DEのコイル問題で困ってるようで、(「イグニションコイルの悪夢 三度現る」)いろんな方の記事を読むと身につまされる。いつチェックランプが点くかわからない状態で走るのは結構なストレス。

思い切って6本とも新品にしてしまわない私も悪いが、部品代がショップによって違うという情報があったり、「対策品」といわれるパーツ番号の存在を教えてくれる店とそうでない店があったり、保証で交換してくれる範囲にばらつきがあったり、と、大の日産党の僕ではあるが、この部品の扱いに関してはどうも納得がいってない。

外品(SpilitFire)のセットが純正より安くて良いんやけど、それでも4万前後。もったいないというより悔しいので買いたくない。(w

んで、昨夜、ふと気づいたことが。
暖機済み 外気温13度 Nレンジで停車中のアイドリングが750rpm前後(アジャストスクリューで調整) で、ブレーキを踏んだままDレンジ(または1レンジ)に入れると500rpm間で落ちる。エアコンのON・OFFを試すのを忘れたけど、この、N→Dの落ち込みが日によってぜんぜん違う。一瞬回転が落ちて2~3秒で700rpmぐらいまで戻るときと、しばらく500rpmぐらいでとどまっているときとがある。AACって、エアコンのコンプレッサの負荷に対してアイドリング調整するだけなんやろうか???

最近買ったケルヒャーのスチームクリーナーで、AACバルブAssyごと洗浄しようとタイミングを計ってる。ついでにコイルのローテーションも(w) なかなか踏ん切りがつかないのは、寒い日に青空駐車場でINマニごっそりはずす作業は、腰もたまらんので。

Dsc00319

2007年2月11日日曜日

コイル問題再燃

あ~あ。。

なんとも手のかかる機械:エンジンは、かくもかわいく憎く金を食うのか。

秋の冷たい空気できれいに吹けて僕をあんなに喜ばせてくれていたRB25DEは、じつは、またもや、IGNコイルの不調でいささか生ガスくさい排気でこの冬を越している。

チェックランプは点いたり消えたり。そもそもこれもおかしいんだが。。一度故障情報を拾うと、コンピュータはその情報を、IGNキーOFFでも消えないメモリに格納する仕様に成っているはず。(赤い店のひと談)

もろにコイル1個死んだときみたいに、ス○ルのボクサーみたく ずぼぼぼぼぼぼっ なんて無粋な音を立てることは無いが、3000rpm手前からきれいにハモって吹けあがるはずの6気筒が、なんとなく、なんかギターのチューニングが狂ってるような、6つのうちどれか1個が元気が無いような。。。そんな、違和感のあるエンジンフィールになっている。

この間、たまたまエンジンフードを開けて眺めているとブルブルッとミスファイアし始めたのでためしに2番のコイル(ここだけ唯一、補機を一切はずさずにIGNコイル(ダイレクトイグニッションコイル)のカプラをはずすことができる)のカプラを引っこ抜いてやると。。
引っこ抜く前とアイドリング状態は変わらなかった。
つまり、2番のコイルが不調でミスファイアしていたということ。

しばらく駐車した後エンジンをかけると、先述の、ミスファイアではないが、いやな感じのアイドリングに戻っていた。
その後1週間ほど症状なし。

外品でIGNコイルが売ってるが、どうも微妙に高くて買いたく無い。予備部品が後4個あるので、この週末に交換して、またしばらく様子を見ることにする。

フォロアー

前の職場で受けさせてもらったセミナーの中に「フォロアーシップ研修」というのがあった。

リーダシップと対を成すものの考え方としての「フォロアーシップ」という言葉。企業の人事・教育担当者でなくとも耳に覚えがあると思う。 世の中には、フォロアーシップのみにターゲットを絞った教育研修があり、人材育成コンサルタント会社などによって提供されている。文献もいくつかある。

当時私はシステム開発に携わっていたが、IT業界をはじめ技術界では「リーダー受難の時代」と言われていた。

プロジェクト制で動くことが多いIT業界では、永続的な組織のなかで人間関係をじっくり熟成させることが難しく、封建的な序列も影が薄くなり、組織内での縦の圧力も、商社や製造業よりは、よわい。テクノロジに関しては、吸収力の高い若い技術者は、入社3年目前後でもたつと、時として、分野によっては先輩や上司をはるかにしのぐ生産物を生み出すこともある。ところが、いかんせんその時点で彼はまだ25歳。人間を見る目など完成しているわけも無く、先端テクノロジに関しては優秀でないがチームマネジメントに長けるベテラン といった種類の先輩や上司を尊重しなくなってゆく。

自分の専門分野で自分より秀でていない者を尊敬できないのだ。

リーダーや先輩が偉いから尊敬せよというのではもちろん無い。

チームのメンバそれそれが最大限にその特色と力を発揮できるよう、協調しあう、尊敬しあうことの大切さ というのは、なかなか文字に書いて理解されるものではないが、そこに如何に早く到達するかで、その後の人生の展開が変わってくるといっても大げさではない。いままで手でこいでいたボートをオールでこぎ始めるようなもの。

新田次郎の「孤高の人」で、主人公を死に追いやってしまう若い登山家のような、若さゆえの傲慢、過信、盲目、それらいわゆる「若さ」(悪い意味で)が、若い未熟な技術者の瞳に見て取れたとき、非常に悲しい思いで彼を諭したものだった。

同時に、育てる側の自分たちにも問題があることにも気づいていた。「不必要に相手の心に踏み込まないことが、大きなトラブルを招かない処世術」といったような風潮が、確かにそこにあったからだ。

2007年1月18日木曜日

幸運なこと

Ni0031m

一番たくさん口にする言葉は、自分が一番気にかけていることや、自分のコンプレックスの裏返しであったり、目指したい方向であったりすることが多い というのは、どうやら本当のことみたい。

折に触れて僕は、「ひとの言動に関して意見はするが人物の好き嫌いでコメントをしない」ということを言うが、ときに、その言葉に関して自分でほんとかなと思うときがある。厳密に言えばうそである。それを目指してやまないのは本当やけど、怒ったり喜んだりするのはどこか好き嫌いがあるからかもしれない。

どれだけ厳しい意見を言うときも、その人が憎くて言うときはほとんどない。ほとんどないがゼロではない。ゼロでなくてもいいと思ってるが、それって実は胸を張って言うことでもない。

日ごろ何に一番腹を立ててるかというと、他者に、「なんで、全体の利益を優先に考えないのか?」という思いを抱いたとき、自分優先に考えて行動するその人の行いに腹を立てる。
(まぁ、周りのみんなが全員そんな人だったら、それはそれで僕がまだ知らないいろんな不都合があるのかも知れんけど)

でも、全体を優先しろ というのは僕のエゴなので、僕は、正確には、「全体の利益を優先してほしいと思っている僕の希望をみんなで聞いてほしい」と思っていることになる。

そう書くと、なんとも恥ずかしい自己中心的な心の動きやけど、そう思う人が複数、できれば大多数いれば事態は違ってきて、「全体の利益を優先に考えるべきと思ってる人をメインにチーム力を発揮したい」と思っている人がグループになれば、言わずもがな、1+1>2となる世界が見え始める。

そういう状態を作り出すことができていない自分や自分がいる集団にいらだっている状態が、さっきの「なんでみんなそうなの!?」状態や ということになる。

どうすればできるだけたくさんのメンバの力をうまく引き出して大きな成果を出せるか、何時間考えても飽きへん。それは僕にとってものすごく幸運なことで、その点は、両親が僕にたくさんのことを教えてくれたこと、今まで接してきたたくさんの人とのたくさんのお付き合いに感謝します。

2007年1月14日日曜日

2007

2007年が始まって、予定通り忙しい。忙しいことが見越せるなら何とか手を打っておくのがおとなの流儀というもんだが、まぁここはそうも行かない。ほどほどの忙しさのほうがみんないい感じに前進や成長を実感できるとおもう。

引っ越してしまってからのおしらせになるが、このブログは引っ越した。ここは新しいほう。旧サイトには案内をしてるし、この記事より前のものはすべて同じなのでまあお許し願いたい。

ワイフの検診にすべて同行しているが、エコーの画像で見るわが子はものすごいスピードで成長していて、もう身長は12センチにもなるのだそうだ。エコーで両親が見ていることを感じてなのか、しきりに足を動かしたり、ピョン!とはずんだり、手を広げて見せてくれたりする。早くも親思いなやつ。サービス精神旺盛はうれしいが落ち着きがない といわれて育った自分の子供時代を思い出して、遺伝子ってすごいなあとバカ単純に感心したりする。
あほみたいやけど、この際あほでいいです(笑

2007年1月1日月曜日

2006

占いによるとココから3年間は運気が良いと何かで読んで楽観的な気持ちでスタートした2006年を振り返る。

まずは転職準備の1月

当時の担当プロジェクトのひきつぎを進める中で、SE稼業について考えさせられた2月

残務整理と手続きで慌ただしかった3月

新天地で4月からの僕はいきなり部長職という厚遇を受けることになる。やりがいと責任がけた違い。

仕事に慣れることで精一杯だった5月。

自分らしい方針で部を動かすことに躍起になった6月。

必死で走ってるうちに過ぎていった7月。

夏のピークを何とかやり過ごして一段落、少し気持ちの緩んだ8月

半年が経ち、自分のリズムが出来てきた9月(でもそのリズムは週休1日や)。

経営者と話す機会が増え、社内でのスタンスも少し安定してきた10月。

そして、ジュニアの命が芽生えたことがわかった11月。こんなに嬉しいものとは!

12月は、次のステップに向けて仕事も暮らしも力を入れなおすプランを練り直す。

昨日12/30 ようやく38歳になったが、歳の割に頼りない自分に少々ガッカリの場面もまだまだあり、40にして惑わず には程遠い。

明けて2007年はとうとう、パパになる。もとい、父になる。

長年、心にあった、自分と父の心の交流に関する悩みや、自分の心の中の理想の父親像にまつわるいろいろな思い、いよいよ実践に移す本番の時がきた。