2009年2月7日土曜日

おんなたらしの作法

ジョージ秋山先生の本「おんなたらしの作法」を読んだ。
  

  
フェミニストには読ませられないページばかり。書評どおりのハードヒットだった。
でも、本音で言えば、同感する女性も結構な割合で居るんじゃないかと感じた。
女はこうしてほしがってるもんだ 風な断言がページを埋め尽くしているが、
女の人は建前では肯定はすまい。
この本にも、虚栄と打算と快楽のことが書いてあった。
巻末のピンクのカーテンの付録が意味不明で、シリーズのほかの巻を読まざるを得なくなった。
してやられた感じがする。
「仕事を口説けない男は女を口説くな 無駄だからだ」
「男の作法は、女を深く慮る事だ。女はそういう男にくどかれたがっているから口説いたらいい」
うろ覚えだがこんな感じ。


2009年2月2日月曜日

マクドの女子高生

京都、奈良、和歌山のエリアを任されて1ヶ月。

移動中に調べ物したりメール書いたりするのでlenovoのミニPCを買った。

通信費がかさむので、YahooBBのオプション「お出かけサービス」を使って、移動中のインターネット接続はできるだけマクドナルドに入ってつなぐ。マクドナルドのほぼ全店舗で、ワイヤレスLANが使える。

クリニック回りは、午前診察と午後診察の間は動きにくい(会える先生が少ない)ので、その時間はマクドでお茶いっぱいで粘って仕事をしてる。

当然回りにもお客さんは居るが、時間帯やお店の立地によって、ほんとうにいろいろな人が利用してて、最近はそのウォッチングにも興味が出てきた。

地域性の違いを一番感じるのはやはり中高生。しらず聞こえてしまう会話の断片でいろいろ彼らの日常のドラマを空想するが、和歌山の海南あたりでは中学生の男子が面白い。小さなコミュニティやチームを作って活動していて、5~6人のチームの中できちんと役割分担ができている様子が面白かった。京都の女子高生は京都らしいというかなんと言うか、男の子の話をしているらしいのだが、「Aくんやったら将来性もあるからAくんにしたやどうやって、お母さんも言うし、A君の試験終わったら言うて見よう(告白してみよう)おもうねん。じっさいBくんのときは将来の話ぜんぜんせぇへんかったし、私から聞くのもどうやろと思て、聞けずじまいやったし。。」とか。なかなかリアルで、しかも親の意見もとりいれる賢さ。
参った、と思った。

こういうマーケティング、何かに生かせないものか。。

2009年2月1日日曜日

スナフキン

少し前にバッカスさんで教えてもらっていたバー スナフキン さんに行ってみた。・マスターの人柄で常連さんが多い・お客さんの年齢層はミドルから上 あまり若い人は多くないということだったので、期待してビルの間の細い細い路地を入っていくと、聞いていたとおりひっそりと、スナフキンさんは営業していた。

先客は60くらいのムードのある男性、30手前ぐらいの明るい女性。マスターのタロットをきっかけに輪に入れてもらい、程よく酔っ払う。後で来た常連さんがなかなかツワモノで、テキーラを飲ませたり飲まされたりして遊んでたが、程なく、帰る宣言をして、僕に握手を求め、強い握手をして帰っていった。女性はほんとに朗らかで気さくな、感じのいい人だった。また一緒に飲みたいなあと思う。年配の男性は遊び人という感じで、よく笑う、明るくて渋い、俳優みたいなムードのある男性。この人の握手は温かくてゆったりしていた。手のひらが分厚かった。僕もたいがい分厚いほうなのに。

多分、マスターのスナフキンさんは、「わかる人」なんだとおもう。最近になって、僕の身の回りに「わかる人」が幾人かいることに気がついた。もしや?と思ってよく観察しないと気づかないし、気づかれるような発言はめったにしないのが「わかる人」のルールなのかもしれない。

僕にはとても居心地のいいバー。

2008年10月26日日曜日

techno

酔わんと書かなくなってきたが、仕方ないかもしれん^^;

1980年発売の、ULTRAVOX  "vienna"について。

80年というと私は12歳。
松原市にあった生家(大きな家)の2階の6畳間の窓際に大きな本棚を横倒しにし、本とおもちゃをしまって、自分の本棚をオーガナイズする楽しみ初めて感じたころ。

当時父親からもらったばかりのテクニクスのチューナーアンプとレコードプレイヤーを、雨の日にはふきんで磨いて、FMアンテナは軒にはりめぐらし(そのために窓の木戸にはアンテナ線とを通す溝を掘った)、FM大阪に聞き入っていたころ。

ある雨の日の放送。エアチェックがしたいと駄々をこねて買ってもらったカセットデッキ(詳細は確認中^^)で、おそらく初めて本番録音をしたのがこのアルバム。番組では全曲を流していて、たしか、合間か終わりに、「第2期ウルトラヴォックスの・・・」と女性DJの解説が入っていた。

アンプをつけて同時にカセットデッキの電源を入れ、FMの音声が聞こえ始めた瞬間に耳に飛び込んできたのは、たしか「Mr.X」あたりだったと思う。

全身がしびれるほどの衝撃を受けた。録音せんと!!!!と反射的に感じ、買ってもらって大事に取ってあった、TDKのD60テープに、録音を始めた12歳のかわいい私がいた。

放送が終わるまで興奮しっぱなしで、テープの終わりに裏返す瞬間にはかなりの緊迫感をもって臨んだ。

28年たつが、いまでも、このアルバム「vienna」は、すばらしい輝きを持ってる。

タイトルチューンのVienna

細野晴臣先生もULTRAVOXには多大な影響を受けているそうな。

ギターのカッティングではこれに勝る曲はほとんど無いと思うNewEuropeans

ビデオが28年前とは思えないAstradyne

2008年8月31日日曜日

アイスコーヒー

リアルで僕を知る人にとっては、僕が喫茶店のレビューをするのは違和感があると思う。酒のイメージがあると思うから^^;
でも、サービス業に興味を持った一番最初のきっかけは、予備校時代の喫茶店のバイトなので、ぼくは、酒の飲みかた(バーテンダーとしてのサーブのしかたは経験が無いので(汗))よりコーヒーの淹れ方のほうが理屈は言える(笑)

§
近所に最近出来た喫茶店(一凛さん:リンクすると色々あるのでサイトはご自分で探してね)に相方と娘と姉と行って見た。

お店に入ったのは土曜の15時過ぎ。駐車場は満員ちかく、「繁盛してるんやね~」とか話しながら玄関へ。

満席で少し待った。(レジ近くで待つ間子供の絵本が利用できるのはポイント高い^^)

内庭に面する席に通していただき、姉はサンドイッチ、相方はフルーツタルト(フルーツは娘のおやつ)、僕はショーケースで一番目を引いたクリームチーズタルト。相方は紅茶(ウバ)で僕はアイスコーヒーをオーダー。

フレンチレストランの味の値踏みはコンソメ、バーのよしあしをはかるのにはジントニックという話はよく聞くが、喫茶店はなんやろう。。。

#このカテゴリ「うまかったログ」を作ったキモチを少し説明しておくと。。
・自分の備忘録・お気に入りリスト
・飲み食いに関する記事の評判(オフ)が良いので、きちんと書こうかな
えて吉さんブログに感化を受けてる(飲み食いに欠ける情熱は、まずかないませんが)

僕は、「アイスコーヒー」で判断できる部分が大きいと思います。

な~んも考えずに、豆やさんがもってきてくれるアイスの豆を挽いて淹れると、”アイス豆くさーい”アイスコーヒーになります。僕が始めて喫茶店修行した”Lake Louise”でも、臭みを抑えるためにアイスをネルで落とす(ドリップする)時には、ホット用の豆を混ぜてました。

でもね、混ぜてもアイスくさいんですよね。濃いというか。

それを嫌う人のために水出しとか色々ありますが、ここの店のアイスコーヒーは、エグ味も臭みもなく、クリアなコクを楽しめる、とてもおいしいアイスコーヒーです。

小さいキューブアイス入りのグラスと、小さなピッチャーに入ったアイスコーヒーが別にサーブされます。これだけで、アイスを侮ってない喫茶店だと感じます。

ピッチャーは250mLいり。 十分です。^^

氷ばっかりで悲しい気持ちになるアイスコーヒーとは明らかに一線を画します。

そして、おいしいのです。

結構大きいポーションのクリームチーズタルトを平らげるにあたっても、飲み物が足りなくなることなく、存分にやさしくてクリアなアイスコーヒーを楽しむことが出来ました。

このコーヒーがタルトを引き立てたとも言ってもいいでしょう。
(実際タルトは甘みが抑え目でとてもおいしかった)

23時まで開いてる、きちんとした喫茶店。

僕はお勧めできます。

2008年8月12日火曜日

ユーモア

ユーモアとかマナーとか英会話とかをテーマにした記事で時々見かけるこのエピソード。
本当だったらあまり笑い話にならんなあ。

日本の森首相は英語ができないのだが、沖縄サミットを主催するにあたって簡単な挨拶ぐらい英語でと考え、    "How are you?"    "I'm fine. And you?"    "Me, too."    と続く一連の挨拶の集中講義を受けた。クリントンと会った森首相はさっそく成果を披露。

    【森首相:(手をさしのべながら)】 "Who are you?"    【クリントン大統領:(少々驚きながらもほほえんで)】    "I'm Hilary Clinton's husband."(私はヒラリー・クリントンの夫です)    【森首相:(戸惑いつつもほほえみを返し)】"Me, too."


2000年8月3日の産経新聞によると、この「ジョーク」の作者は台湾の著名な有識者で、オリジナルはアジア某国の元大統領が失言の主という設定だったという。発言の時期や場所まで変えられて、国際的伝言ゲームの様相を呈しているこのジョーク、信憑性がありそうに聞こえるところが情けない。ちなみに、外務省がそういう事実はない、と必死で否定したという。

Me,tooでほかにもジョークがある。

公衆便所で用をたす男。

背後からホモの男性が突然抱きつき、用を足している男を襲おうとする。

襲われた男は、ホモ除けにと友人から教わったフレーズを思い出した。

「Stop! Stop it! I'm AIDS!! 

こう言えばたいがいのホモは恐れをなして行為をあきらめるそうだよ」

背後から執拗に抱きつくホモにこう浴びせかけた。

「Stop! I'm AIDS! Stop it!!」

背後から、荒い息遣いとともに帰ってきたのは、想定外の言葉だった。

「Me,too.」

 

 

 

 

 

2008年4月13日日曜日

辛抱

辛抱は美徳だと教えられてきた。

感情を抑え、腹を立てず、相手の立場に立ち、少々いやなことがあっても辛抱して人と仲良くするのが美しいことと教えてもらったが、本当にそうなのか、最近になって疑問を抱くようになった。

そんな怒りを抑える辛抱はどうでもいいのだ。ある程度は出来て当たり前。もっと違うところで、辛抱だ。

あいまいな言葉で、努力することが美しいとか、人の信頼を得ることが大切だとか、前向きに努力を続ければかならず人生のどこかで報われるとか説かれる。その努力がなかなか実らないで、挫折しそうになると、

「それは己の努力が足りないからだ」とさらに叱咤される。

そういうものか、と、また眼をつぶったまま走り始める。

崇高で大きな目標をもち、それに到達するまでの具体的なプランをもって、少しずつ夢を実現しているスマートな社会人が良しとされ、個性を発揮し、人に勝ち、富を得、裕福に暮らすことこそ21世紀の社会人の目指すべき姿だと、たくさんの雑誌や本が毎週のように宣伝し、そうなるための「裏技」「徹底特集」の記事が書店の雑誌の表示やニュースサイト、SNSのトップを飾る。

そんな記事に眼がくらんでいる読者のほとんどは、実際には、交渉や議論がおっくうで言いたいことも程々にしか言えず、与えられた仕事や定義しやすいタスクを消化することで日々の達成感を得ている毎日なのに、実はそれがいやで、目先だけでも変えたい、と雑誌の啓発記事を手に取り、読んで気分に浸っているだけではないのかと想像する。

そうでない人は、成功に「裏技」などなく、雑誌の目玉記事に簡単に掲載される程度の情報で人生が劇的に変わることを期待するほうが非現実的だと知っているだろう。

往々にして、平穏に運営できている組織はたちが悪く、「皆さん、刀は抜かないでおきましょうね」と暗黙の約束で物事が進む。「これをあいつに指摘したら、おれも痛いところを突かれそうだから、今回はだまって過ごすか」「これをそっとしておいて上げれば、こんど俺が困ったときにお願いをしやすいな」生ぬるい湯の中で腐った卵みたいな。

極端に平穏にすすめようとする必要はない。結果として平穏なのはそれはそれで良いが。たくさんの人が集まってひとつのことをやるのに、意見がぶつからないのは、全員じつはお釈迦様なのか、または全員本気でやってないだけだ。

正論という大きい刀を振り回すだけではなんにもならないことぐらいわかってる。その刀を抜くことが大切なのではない。誰しも心に正義の刀を持っていて、お互いがその刀の存在を理解していて、お互いにその刀を抜かせないように、お互いがその刀を抜かずに済むように、きちんとしたモラルを持ちたいものだ。

目の前で行われていることが、どうしても正しいことと思えないなら、正義(と自分が信じている)という名の刀を抜き、納得行くまで議論をしよう。そうしてしまうことで巻き起こるいろんな面倒が怖くてついつい知らん顔をしてしまうが、その恐怖を辛抱すれば、必ず、物事は前に進む。よくなる。

だから、恐怖に負けて沈黙してはいけない。見てみぬ振りはいけない。

辛抱とは自分の恐怖心を殺さないといけないときにするもんだと思う。

2008年4月2日水曜日

腐臭

驚いた。

辛らつで誠実な助言をもらって、振り返ると、わが身が、驚くほど腐っていた。頭に、腐臭の漂うなにか黒い塊をイメージした。

いままでに、何度か、「いったん、自分で長所だと思っているところを全部忘れて、ゼロから考え直そう」と試みたことがある。

初めの一度は、のぼせ上がっていた学生時代の終わりごろ。自分が長いこと学校でいじくった矮小な知識など、どこに出ても通用しないのだとはっきり思い知り、それなら、と、就職活動も公務員受験もやめ、慢心したり思い違いしたりしないで済みそうな、(むしろ当時は体力に自信がなかったので、劣等感をばねに持続力を出せそうな)手と足と体を使う仕事を始めた。

 

何年か置きに、いろいろなきっかけで、自分の勘違いに気づき、こういう、いわゆるリセットをしてきたが、不惑を間近に控えた今、もう一度その機会は、突然やってきた。

 

取り返しのつかないポイントに来ていると思う。望むらくは、取り返しのつかない崖の際でいまそれを知ることが出来たのだと思いたい。つまらない気持ちで老いてゆきたくない。娘の人生にとって何かしらの道しるべであるような、そんな、残りの人生にしたい。

そのために今回も、きちんとこの問題に向き合って、軌道修正をして、少しでも明るい未来にしたいと思う。

 

前回のWさんのコメントにもあったが、人は常に選択しているという。言葉を発するときも、目の前の出来事に対して自分の考えや姿勢を示すときも、つねに、なにかしらの選択をしている。ここのところの僕は、いつも、いくつかの選択肢の中から、どちらかというと謙虚ではない選択肢を選んできたように思う。というよりは、一番謙虚な選択肢をまず捨てて、残りの中から選ぼうとしていたのではないかと思う。

 

そんな人じゃなかったのに。なかったつもりだったのに。

 

なんだろう。なめられてると感じてそれがいやだったのか、自分の存在意義を確かめたいのか、無理やりアピールしようとしていたのか、自分を見てほしかったのか。きっかけはなにかそういう心の動きがあったのかもしれない。

謙虚さを失うことで、見えなくなるものがあるということを、体験した。

 

1つ前の記事と正反対の方向なのかもしれない。

ネット上に、「謙虚」をテーマにした文章があったのでここに引用したい。

↓↓

 

人間とは、実はデフォルトでは、ありのままを認識できない性をもった罪深い生き物だ。    「人は誰でも2つの籠をさげている。前に一つ。後ろに一つ。前の籠には自分の長所というボールが、    後ろには自分の欠点というボールが入っている」    つまり、人は自分の間違いには盲目なのだ。    「自分だけは善である」「自分が思っていることは正しい」と盲目的に思い込んでいる。    鳥が泳げないことを魚が笑い、魚が歩けないことを犬が笑い、犬が飛べないことを鳥が笑うようなものだ。    お互いがお互いの無能さを糾弾し、存在を否定する。    放って置けば、人間はありのままを見ることができないのだ。    自分が見えること、感じることが、考えることが、全てだと思い込み、その偏った狭いものさしで、    他人を評価し、批判し、否定する。

  

つまり、人は誰しも、    「独り善がり」という幻想に囚われる盲目者なのだ。    自分が、ありのままだと思っていることは、ちっともありのままではない。    自分だけが正しいと思っている、独り善がりな幻想だ。    「独り善がり」な妄想から目を覚まし、ありのままを見ようとすることが「謙虚」    になるということの意味だったのだ。

  

【独り善がりの4大典型】

  

今度は具体的に    僕が感じてきた「独り善がり」に他人を否定する4つの典型要素を挙げる。

  

  1. 社交性 ⇔ 集中力        社交的な人が、社交的でない人を一方的に否定する。      自分が集中力に欠け、考えが浅いことに気づかないままに。              集中力のある人が、集中力のない人を一方的に否定する。      自分が社交性に欠け、人の輪をつくるのが下手なことに気づかないままに。      
                                          
  2. 論理 ⇔ 感情        論理的な人が、非論理的な人を一方的に否定する。    自分が人の感情を読み取る感受性を持たないことに気づかないままに。              感情を敏感な人が、感情に鈍感な人を一方的に否定する。    自分が論理的一貫性のない支離滅裂なことを言っていることに気づかないままに。   
                                          
  3. 現実 ⇔ 理念        細かいことに几帳面な人が、理念的な人を一方的に否定する。        自分が物事の本質が分からず、表層に捕らわれる小人であることに気づかないままに。              理念的な人が、抽象的概念を理解できない人を一方的に否定する。    自分が頭でっかちで現実性に欠ける役立たずであることに気がつかないままに。    
                                         
  4. 堅実 ⇔ 柔軟        堅実性を重んじる人が、堅実性に欠ける人を一方的に否定する。      自分が柔軟性に欠け、融通の聞かない頑愚であることに気づかないままに。          

    柔軟性を重んじる人が、柔軟性に欠ける人を一方的に否定する。      自分が、行き当たりばったりで、ずさんな仕事をしかできないことに気づかないままに。

     

互いに欠けている点を否定しあっていたら、この世には誰も残らない 

。    他人の欠点に腹が立って仕方ないときは、自分の欠点を周りの人が許してくれていることを    思い出すがいい。 

↑↑

「ありのままを見る」ということを、しばらく、きちんとやってみることにしよう。まず自分の+も-も、きちんと正面から見るということにしよう。

岡田斗志夫さんの「いつまでもデブと思うなよ」のなかで、肥満の人を多重債務者にたとえて説明しているくだりがあった。

多重債務者は、自分の借金が今日現在でいくらか、一日いくらの利息を払っているか、どうやれば何年で完済するかなんて計算しないのだと、岡田氏は書いている。それは、知ってしまうのが怖いからだ、と。肥満も同じ。肥満の人は、自分がどの程度カロリーオーバーなのか、一日どれくらい食事を減らしてどれくらい運動を増やせば健康に減量できるか、知るすべはあるのに、知ろうとしない。

   あまり、いっぺんに消化しようとするのをやめておく。

もう少し、よく考えよう。

  自分が偉くなったような勘違いをしていたこの愚かな年月をよく振り返り、きちんと反省を次に生かすことで、この年月の愚行の罪滅ぼしにしよう。

2008年2月25日月曜日

サービス

GIGAZINEさんの記事魔法瓶が壊れたので「タイガー魔法瓶」に修理依頼をしてみたよレポート が印象に残った。

タイガーさんの修理サービスはすばらしいことがわかったが、では顧客満足を得るサービスのためのポイントとはどんなところだろうか。
簡単に思いつくのは、
・消費者の観点で不便を減らしてある
・消費者が大事にすることを、サービス提供者もいっしょに大事にする
・手続きや取引をスムースに進めるための目新しい工夫が1つ以上ある
・サービス提供者が行ったことを出来る限り詳しく開示、説明している
といったところだろうか。これがホテルマンなら鬼軍曹のような先輩に「あたりまえ」と言われかねない内容だが、利用者が不便さに気づく前に、それを完全にカバーする対応を案内し、実行する というのは、一朝一夕にできるものではない。
この修理サービスのスキームを練り上げた人は、ホテルで言うとコンシェルジュのようなセンスだなと感じた。

顧客が何を求めているかの研究を、うちももっとすすめないと。

ふと思い出して、少し前に買ったこの本を振り返った。

顧客のニーズに細やかに応えることで成功した事例が満載されていて参考になるが、成功体験の追体験はそうそう簡単にうまく行くものではない。
あくまで参考にしたいと思う。