驚いた。
辛らつで誠実な助言をもらって、振り返ると、わが身が、驚くほど腐っていた。頭に、腐臭の漂うなにか黒い塊をイメージした。
いままでに、何度か、「いったん、自分で長所だと思っているところを全部忘れて、ゼロから考え直そう」と試みたことがある。
初めの一度は、のぼせ上がっていた学生時代の終わりごろ。自分が長いこと学校でいじくった矮小な知識など、どこに出ても通用しないのだとはっきり思い知り、それなら、と、就職活動も公務員受験もやめ、慢心したり思い違いしたりしないで済みそうな、(むしろ当時は体力に自信がなかったので、劣等感をばねに持続力を出せそうな)手と足と体を使う仕事を始めた。
何年か置きに、いろいろなきっかけで、自分の勘違いに気づき、こういう、いわゆるリセットをしてきたが、不惑を間近に控えた今、もう一度その機会は、突然やってきた。
取り返しのつかないポイントに来ていると思う。望むらくは、取り返しのつかない崖の際でいまそれを知ることが出来たのだと思いたい。つまらない気持ちで老いてゆきたくない。娘の人生にとって何かしらの道しるべであるような、そんな、残りの人生にしたい。
そのために今回も、きちんとこの問題に向き合って、軌道修正をして、少しでも明るい未来にしたいと思う。
前回のWさんのコメントにもあったが、人は常に選択しているという。言葉を発するときも、目の前の出来事に対して自分の考えや姿勢を示すときも、つねに、なにかしらの選択をしている。ここのところの僕は、いつも、いくつかの選択肢の中から、どちらかというと謙虚ではない選択肢を選んできたように思う。というよりは、一番謙虚な選択肢をまず捨てて、残りの中から選ぼうとしていたのではないかと思う。
そんな人じゃなかったのに。なかったつもりだったのに。
なんだろう。なめられてると感じてそれがいやだったのか、自分の存在意義を確かめたいのか、無理やりアピールしようとしていたのか、自分を見てほしかったのか。きっかけはなにかそういう心の動きがあったのかもしれない。
謙虚さを失うことで、見えなくなるものがあるということを、体験した。
1つ前の記事と正反対の方向なのかもしれない。
ネット上に、「謙虚」をテーマにした文章があったのでここに引用したい。
↓↓
人間とは、実はデフォルトでは、ありのままを認識できない性をもった罪深い生き物だ。 「人は誰でも2つの籠をさげている。前に一つ。後ろに一つ。前の籠には自分の長所というボールが、 後ろには自分の欠点というボールが入っている」 つまり、人は自分の間違いには盲目なのだ。 「自分だけは善である」「自分が思っていることは正しい」と盲目的に思い込んでいる。 鳥が泳げないことを魚が笑い、魚が歩けないことを犬が笑い、犬が飛べないことを鳥が笑うようなものだ。 お互いがお互いの無能さを糾弾し、存在を否定する。 放って置けば、人間はありのままを見ることができないのだ。 自分が見えること、感じることが、考えることが、全てだと思い込み、その偏った狭いものさしで、 他人を評価し、批判し、否定する。
つまり、人は誰しも、 「独り善がり」という幻想に囚われる盲目者なのだ。 自分が、ありのままだと思っていることは、ちっともありのままではない。 自分だけが正しいと思っている、独り善がりな幻想だ。 「独り善がり」な妄想から目を覚まし、ありのままを見ようとすることが「謙虚」 になるということの意味だったのだ。
【独り善がりの4大典型】
今度は具体的に 僕が感じてきた「独り善がり」に他人を否定する4つの典型要素を挙げる。
- 社交性 ⇔ 集中力 社交的な人が、社交的でない人を一方的に否定する。 自分が集中力に欠け、考えが浅いことに気づかないままに。 集中力のある人が、集中力のない人を一方的に否定する。 自分が社交性に欠け、人の輪をつくるのが下手なことに気づかないままに。
- 論理 ⇔ 感情 論理的な人が、非論理的な人を一方的に否定する。 自分が人の感情を読み取る感受性を持たないことに気づかないままに。 感情を敏感な人が、感情に鈍感な人を一方的に否定する。 自分が論理的一貫性のない支離滅裂なことを言っていることに気づかないままに。
- 現実 ⇔ 理念 細かいことに几帳面な人が、理念的な人を一方的に否定する。 自分が物事の本質が分からず、表層に捕らわれる小人であることに気づかないままに。 理念的な人が、抽象的概念を理解できない人を一方的に否定する。 自分が頭でっかちで現実性に欠ける役立たずであることに気がつかないままに。
- 堅実 ⇔ 柔軟 堅実性を重んじる人が、堅実性に欠ける人を一方的に否定する。 自分が柔軟性に欠け、融通の聞かない頑愚であることに気づかないままに。
柔軟性を重んじる人が、柔軟性に欠ける人を一方的に否定する。 自分が、行き当たりばったりで、ずさんな仕事をしかできないことに気づかないままに。
互いに欠けている点を否定しあっていたら、この世には誰も残らない
。 他人の欠点に腹が立って仕方ないときは、自分の欠点を周りの人が許してくれていることを 思い出すがいい。
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「ありのままを見る」ということを、しばらく、きちんとやってみることにしよう。まず自分の+も-も、きちんと正面から見るということにしよう。
多重債務者は、自分の借金が今日現在でいくらか、一日いくらの利息を払っているか、どうやれば何年で完済するかなんて計算しないのだと、岡田氏は書いている。それは、知ってしまうのが怖いからだ、と。肥満も同じ。肥満の人は、自分がどの程度カロリーオーバーなのか、一日どれくらい食事を減らしてどれくらい運動を増やせば健康に減量できるか、知るすべはあるのに、知ろうとしない。
あまり、いっぺんに消化しようとするのをやめておく。
もう少し、よく考えよう。
自分が偉くなったような勘違いをしていたこの愚かな年月をよく振り返り、きちんと反省を次に生かすことで、この年月の愚行の罪滅ぼしにしよう。
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