2007年9月25日火曜日

血と骨

これもリアルで迫力のある映画。

主人公の、己の欲のみを軸とした暴力的な生涯。それに巻きこまれ、翻弄され、あるいは捨てられ、葬られてゆく人々の、救いようのないような凄惨な人間模様。

眼を背けたくなるような光景でもリアルと感じたのは、ここまでひどくは無くてもよく似た人々を私が知っていると感じたからか。

「えげつない」という形容詞がこれほどしっくり来る男にはなかなかお目にかからない。

この映画をとおして崔監督が観客に伝えようとしたのは、あるいは複数の民族の眼から複眼的に見たリアルな昭和史であり、あるいは単純に、狂気と暴力に満ちた男のものがたりを媒体に、そうしなければ生き残れなかった時代を現代に投影するなにがしかのメッセージかもしれない。

全体を貫く昭和のイメージは、窓から差し込む日の光、深夜の路地の闇のいろ、ふすまの質感、そんなディテールの忠実さで見事に表現されていた。

余計なことを考えずに、偏見を持たずに観るなら面白い映画。

2007年9月24日月曜日

朋有り、遠方より来る

シュールなおにぎり青年だったJさんが東京に行ってしまってしばらくたっているが、先日、大阪に立ち寄る旨知らせてきてくれた。忘れず声をかけてくれたことがうれしい。久々に会って話すと、とても充実した時間に。
東京では彼の持ち前の誠実さが光り、順調に前向きに仕事が進んでいるようで、聞いているこちらも楽しくなった。私の近況も話すと同じように彼はよろこんでくれ、お互いのポジティブ材料になった。

この記事につけたタイトルをググると、こんな解説が。

『朋有り、遠方より来る、亦悦しからずや』(ともあり、えんぽうよりきたる、またたのしからずや)と読みます。
『朋』は、『同じ先生について学んだ者』という意味です。
訳は、『同じ先生の下で学んだ学友が久しぶりに遠くから、訪ねてきた。話し合ってみると、あのころよりもお互いの学問が進んでいることがわかって、何とまあうれしいことよ』です。

『悦』の内容は、先生の下から離れて、互いに研鑽を重ねて学問が高い境地に『お互いに』到達していたことを喜び合っているのです。

しばらく会ってない間にお互い仕事がうまく行っていて、それを素直によろこびあえた、まさにこんな情景だったにちがいない。