プログラムの世界で、「クラス」というものを設計するときがある。
「設計者は、クラス設計を、泣く泣く3回捨てる」というアフォリズムがあり、これはほんとに言い得ている。
エキスパートになるまでは、(なっても?)どれだけ慎重に検討してクラス設計を進めても、(言い方を変えると、慎重であればあるほど)
途中で3回は、やり直しの局面に追い込まれる。
無駄な事のように聞こえるが、それでいいのである。
一旦白紙にしてでも、クラス設計をやり直す。
その覚悟がなければ、いわゆる「よいクラス設計」にはならない。
「動きゃいい」レベルのプログラムではなく、デバッグも、メンテナンスも、
改造も、機能追加も。。。 あらゆる側面で、理解しやすく、制御しやすい構造を
取らなければいけない。
文章を書くのと同じに感じる。
一発でいいものがかけるときもあるが、フィーリング論だけならそれでいい。キャッチコピーとか。
文章 となると、いくら推敲してもしすぎない。
どうすれば相手により正確に、自分が表現したい事が伝わるか。そこにある答えは、当然、ひとつではない。
こうやっていろいろな事を考えれば考えるほど、先述のある「ことば」にたどり着く。
「教養とは、人の心を知る心」
「品質」ということをどう考えているのか、と、ボスにしかられた事があるが、
今なら答えられる。
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