2008年2月25日月曜日

Roman Andren -JUANITA-

時間つぶしに立ち寄った梅田のTOWER RECORDSで、Roman Andrenを聴いた。

このアルバムをディスプレイしてあるラックにド派手なコメントのPOPがあってちょっと引いたが、買ってみると、なるほど、きれいで丁寧な音作りで、安定感も色彩もある。とても気に入って、この週末、娘をだっこしている間ずっとリビングに流してた。

アルバム JUANITA のタイトルは彼の愛娘の名から取ったそうだ。
 2.Bumblebee 
 4.O Sapo
 9.O Mundo  É Seu
が特に惹かれるナンバーで、清潔感があってやさしい恋人と午後のひと時をゆったりと過ごしているような気分にしてくれる。
なんともスマートなAndrenの鍵盤捌きは、まさにTowerのPOPどおりで、独りよがりでない、よく抑えの効いたアドリブのような心地よい新鮮さ、構成や進行は様式美を求めるファン層にも受け入れられる誠実なつくり。音色やリズム、フランジャーの係り具合も絶妙に70'sを思い起こさせる。

13.Love Has A Name
は日本向けボーナストラック。この曲だけほかと少し違うトーン。
ロバートパーマーのバラードのようなほろ苦いメロディーの感じと少し甘いヴォーカルが妙にバランスしていて、これが一番最新の録音なら、この曲で次のアルバムの方向性も少し見せてるのかな、とか、つい考えてしまった。

Towerに行って衝動買いも、いいもんだ。

2008年2月8日金曜日

選択

当たり前のことを当たり前に実行するためのメモを、少しずつ残してゆこう。

規模の大小によらず、システムを開発するときには、事前に決まっているはず(べき)ことがらがいくつかある。

  • 仕様
  • 品質基準
  • コスト計画
  • 開発期間(サービス開始日と設計開始可能日、製造開始可能日)
  • 使用範囲、稼働時間などの制限事項すべて
  • 停止時の対応方法
  • 開発の各パートの責任分担
  • 開発に当たっての優先事項
    (機能なのか納期なのか手段なのか、またはそのほかにあるのか)
  • 開発に至った背景

etc.

(もっと網羅的なリストに関しては、PMP関連の書籍に詳しいので当たってみてほしい。)

システム開発は、クライアントが、そのシステムを導入することによって利得(多くの場合は業務の効率化と精度アップ、スケールアップ)を得ることを前提にお話が始まるので、ここは最後までクライアントのメリットを追求しないといけないのだと思う。最後にあげた優先事項と背景あたりは、往々にしていい加減な扱いを受ける。ここにクライアントの魂がこもっていることが多いのに、だ。

 

SEの業界では、ここのところをきちんと咀嚼できてシステムの設計に反映できて実際にクライアントを喜ばせるSEをスーパーSEなんて呼ぶことがある。これが出来るSEは意外と少ないのだ。

ものづくり稼業を続けていると、新しくプロジェクトを手がけて、送り出して と繰り返すうちに、手がけているシステムの本当の姿を見失うときがある。クライアントと一緒に、そのシステムが動きはじめるところを、感動を持って見つめられるようなそんな心が、どこかでほこりをかぶったまま、存在さえ忘れられてしまうのである。

 

自分の喜びのポイントが、クライアントの満足とは離れてしまうときである。自分のものづくりスキルの自信が過信に変わったり、プロとしての矜持がいつの間にか高慢な心になったり、そういうことだ。

これは自分ではなかなか気づかない(だからこそそれは起こる)が、それはクライアントの眼から見れば一瞬でわかる。

自分のために仕事をするのは結構なのだが、仕事のアウトプットが自己満足的なものになっては、もはやプロではない。ましてや相手の立場や尊厳を傷つけては、すべてが台無しになる。

そんな事例を見かけたので、自分はこうなりたくないと強く感じた。忘れないために書き残すことにした。

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2008年1月14日月曜日

ウルトラリアル

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Ron Mueckという人を知ったのはどこかのブログ記事。DIGITAL DJやったかな。

ものすごくリアルなシリコンモデルを、ちょっと変わったスケールで作るアーティスト。

まずはこれを見てほしい。右の写真は実は生身の女性ではない。

鬼才としか言いようがない。

リアルに物を作るアーティストはたくさんいるかもしれないが、それを、ちょっと(一部作品ではかなり)スケールをずらして、まず見る人の心に強烈なインパクトを与える。

動画に出てくる、巨大な少年なんか、子供のときに見ていたら夢でうなされただろう。

生まれて初めて女の子とキスをした日、初めて、数センチの距離で、その女の子のまつげの生え方や眼の周りの細かな起伏、髪の生え際なんかを見た。とてもきれいに出来ていて、飽きることなく長い間眺めていたように思う。今となっては少々きれいな人とお近づきになってもいちいちまつげがどうとかはなんとも感じないが、おそらくこういう芸術家は、観察眼がいつまでも風化しないから、どんなものでも自分の表現世界に結び付けてゆけるのだと思う。

ほかにもたくさんあるようなので、Mueckの世界にしばし足を踏み入れてることにする。

メモ:   GGL-pic  YTB

 

2008年1月13日日曜日

大好きだったけど。

フレッシュネスバーガーを時々利用していた。

(お察しのとおり、私が、大好きだったフレッシュネスバーガーにとてもひどくがっかりし、今後利用しないことに決めたいきさつを書いている。興味のない方は次の記事へどうぞ。)
 

 
フレッシュネスバーガー
「クラシックバーガー」が味もボリューム的にも気に入っていて、時々、お昼にテイクアウトしてオフィスで食べていた。

ある日の昼食に、以前から興味があった「クラシックWWバーガー」をテイクアウトしてみた。MACでいうビッグマックにあたる、一番大きなハンバーガー。

オフィスに戻って紙袋を開けると、ラッピングペーパー(F社ではこの紙に色々とこだわりがあるそうだがいまではとても疑問だ)2枚で包まれた大きなハンバーガーが目に入る。ほほの緩む瞬間だ。

旨そうなパティのにおいがいつもより強いのは、きっとそう、パティがWだからだ。

そうにちがいない。

ほんのりチーズの香りもただよう。

この店のたまねぎはサラシがあまく、とても辛くてにおいもきつかったので、今回もたまねぎ抜きで注文した。

ちょっとカロリーオーバーだがこれはかなりのお気に入りになるに違いない。。

 

では。

と、手に取った瞬間、指先に感じた強い違和感に、思わず手を離して、元の紙袋の中に落としてしまった。

「????!!」 包み紙が、肉汁でボトボトに濡れている。。。。2枚でラッピングしたのはこういう訳か。。

恐る恐る(机に汁がぽたぽた落ちたが仕方なかった)開けてみると、ぬれているというより、出来上がってから汁をぶっ掛けたように、広げた包み紙のシワをツツーっと汁が流れるほどにぼとぼとだ。

 

ハンバーガーファンならご存知のとおり、数あるハンバーガーショップの、いくつかのメニューでは、テイクアウトしたハンバーガーが、家に帰ったら肉汁や湯気でしっとりしてしまい、店で食べるのとは少し違った食べ物になってしまうことが少なくない。(とくに、モスやウェンディーズなどはさむ具材がリッチなものはこういう傾向がある。だからできるだけハンバーガーはできたてを可能な限り早く食べるほうがいいのだが。)

 

今回は別格。

バンズも、湿っているというよりは汁に浸したようにぐちゃぐちゃになっている。

とてもこれが正しい「「クラシックWWバーガー」だとは思えない。

 

オフラインで私を知っている人ならご存知と思うが、私はハンバーガー、ハンバーグが大好きである。作り方や材料に細かい知識があったり、ハンバーグを評価する組織に所属したりしているわけではないが、私が世界で一番好きな食べ物は、ハンバーグである。

だから、ハンバーグ関連で私をがっかりさせるような出来事には、できる限り遭遇したくないのだが、運悪く遭遇してしまった時に、その「がっかり」が、手抜きや怠慢によるものだったりすると、立ち直りがたいショックを(ごく短時間だが)受ける。15分ほど、悲しい気持ちになってしまうのだ。

今回は最悪の事態のようだ。

こんなボトボトは、包む時に、まず、気づく。はず。

そして、余分な汁をとるなど、対策する。はず。

持って帰ってこのお客さんがこの紙をあける時に、このバンズはもう、味噌汁の麩のように汁を吸ってむにゃむにゃになっているだろう。。そういうことも、想像がつく。はず。

食べる時に包み紙の四辺をうまく内側に折りたたんで、汁がこぼれないように、傾けないように口をできるだけ近づけて食べていると、手や頬やメガネに、おいしいパティのおいしい汁
が付いてしまい、それを洗面所で洗うのはとても面倒だということも、想像してほしかった。

その店に苦情を言いに行ってもそれは解決でないような気がした。

なにより、その、汁だらけのハンバーガーを店に持っていって、込み合っているカウンターで汁の説明をする中年男性(私)の、あまりかっこよくない状況を想像すると、とてもやりきれない気持ちになったので、この会社に事情を説明して改善して頂けるようにお願いをしようとおもった。

ホームページで消費者相談窓口を探したのだ。

しかし、フレッシュネスバーガーさんは「ご意見窓口」「カスタマー窓口」のようなものを一切持っていないようだ。

今のご時勢、消費者とやり取りをする窓口をもたないことには少し驚きだが、先のボトボトバーガーと、消費者窓口の記載のないWebサイトを見ると、消費者の立場で、食べる人の立場でものを考える会社ではないのだな、というのが感じられたので、内密に穏便にすませたほうが会社にとってもわたしにとっても、ちょうどいい解決になるのだというような優しい気持ちは何処かに吹き飛んでしまった。

 

憤りを抑えながら、両手を汁だらけにしながら、このさい略称に格下げの「クラWバーガー」をなんとか食べ終えることができたが、あんなに大好きだった肉厚のクラシックパティが二枚も入っているのにもかかわらず、おいしいとは全く感じなかった。
「食え」とばかりに、乱暴に目の前に食べ物を出され、甘んじてそれを食べているような、そんな気持ちになった。盛り付けの雑な料理は食べる人の喜びと感謝を踏みにじる。それと同じだろう。

「こんなもん食えるか!」と捨ててしまえるような心の持ち主であったなら、いくらか救われたかもしれない。 

 

私にできる精一杯のことは、『あんなものはもう食べない。』 

客商売で一番怖いのは、黙って離れていく消費者だ。

クレーマーなんて、親切なのだ。時間を割いて、詳しく事情を説明し、部外者なりにも会社の問題点を分析して一生懸命それを伝えようとする。いわばネガティブ要因専門の社外コンサルテーションスタッフだ。

私も、大好きなフレッシュネスバーガーがもっと良くなるように、「汁でボトボトではないハンバーガーのほうが、今より売れますよ、きっと」って、伝えたかったのだが、それをする手段がなくてとても残念だ。 

食べ飽きたはずのビッグマックの、どちらかというとジューシーではない薄いパティの味わいが、とても恋しくなった。

 

2008年1月7日月曜日

コラテラル

トップガンを観た時の衝撃はいまだ心に新しい。20年以上前になる。トムクルーズも若かった。家庭のAVはまだどこの家もVHSのビデオデッキで(たまにBetaも居たり)、テレビはブラウン管だった(一番人気はSONYのプロフィールだった)ころの話。もう20年も経ってしまったのか。

トム・クルーズは確かに男前と思うが、映画俳優としての彼を見る時には特に何の感慨も持っていなかった。俳優という職業をうらやましいと思ったことがないといえばうそになるが、容姿を一定に保ち、自分でないものを演じて生きるということに、興味こそ持てど、なってみたいと思ったことがあまりなかった。そのころの僕はまだ人生観もうまく出来上がってなくて、少しゆがんだところもあったのか、年を経た俳優は、重ねる年輪そのものが美しければ評価を受けることもあるだろうが、老いて小さくなると見捨てられる存在のようなイメージを持っていた。

ついこの間5回目を見たコラテラル(「巻き添え」の意)は、ストーリーが後半急展開して一件落着、ラストシーンは虚空に向かって主人公がテーマをつぶやく、言えばよくあるわかりやすい娯楽映画。僕のつぼをこういう風にヒットした。

  • (ガン)アクションが派手
  • 自分の恋愛経験のなかで経験したことのあるようなシーンが1つ以上ある
  • 怒っている人が登場する
  • あきらめる人とあきらめない人が登場する
  • 映像と音楽で強い緊張感を感じるシーンが2つ以上ある

並べてみると、なんとも単純な、僕自身こそアメリカ映画みたいだ。

2008年1月4日金曜日

Ferrari 412T2 咆哮

フェラーリ TIPO 044型エンジン 1995

1996~1997年ごろの、「CAR GRAPHIC」誌の創刊何周年かの記念の付録であったらしいミニCDが有る。

実物は手元に無いが、コピーが有る。

色々とF1のエグゾーストノートを収録したCDを買いあさったが、このミニCDほどの迫力のものは、無かった。

一番の感動は、長い長いクランキングの後、ティーポ044エンジンに火が入り、様子を見ながらレーシングする部分。冷えているフェラーリF1のエンジンのノイズは思いのほか大きく、タペット音らしきものがモロに聞こえる。「カチャカチャカチャカチャカチャカチャ。。。」大丈夫かと思うほど。聞くと、温間時(エンジンが実用温度になっているときのこと)にベストなクリアランスになるように、各部品の膨張率やたわみを精密に計算して仕上げられたチューニングの結果、こうなるのだそうだ。

次のシーンで、獣が甲高く咆哮するようなV12サウンドが聞こえると、全身鳥肌で、涙さえあふれる。絶対太刀打ちできない大きな獣に食いつかれたような、征服されたような気分になる。ferrari_412t2.jpg

それはそれはどう猛な獣で、どんな生き物も彼の前にはえさとなるほかないが、彼の中には最強の獣の哀しみがあり、彼が全速で駆けるときの音は、強者の誇りのほかに、息絶えるときまで勝利に貪欲でなければいけない自らの定めを嘆き、哀しむ響きがある。彼が彼であるためには勝ち続けるほかないが、そうしてどんどん彼の孤独は深まってゆく。ハイエンド(一番高回転の時)の音は、私にはそういう悲しい音にも聞こえる。

ferrari_412t295.jpg

2007年12月14日金曜日

Carl's Jr.

1990年前後、箕面市稲に一軒、梅田GARE内に一軒、Carl's Jrバーガーがあった。

少々値は張るがあじ、ボリュームともにまさにアメリカンなハンバーガーショップで、とても気に入って、利用してた。

たしか93年ごろにはお店はなくなっていたように思う。
今でも時々食べたくなる、濃い目のバーベキューソースとカリカリベーコン、でかいパティ。。。

いまなら6Dollar Burger を1個買うともう一個プレゼント。僕でもちと多いかな。
http://www.carlsjr.com/coupon/burgerslayer.jpg

リンク: Carl's Jr..

2007年12月6日木曜日

職業倫理 矜持

リンク: 株式会社吉野家ホームページ.

リンク: <吉野家>アルバイト店員2人を処分 山盛り豚丼動画(毎日新聞) - Yahoo!ニュース.

「テラ豚丼」動画事件での吉野家のアクションは抜群に早かった。そして適切だったとおもう。

「ゆとり」以降の世代に「職業倫理」なんて、辛気臭くて理解できないといわれるのがおちなのであれば、公開の上でばっさり処分するしかない。

 

業界を問わずたくさんの偽装が発覚し、連日「あそこもか!」の声を上げて新聞記事を繰る。Webニュースをたどる。

偽装はいけない。 発覚後の責任転嫁はもっといけない。

これは関連のニュースで一番の骨子。

そろそろ議論が盛んになりそうなのが、内部告発が大流行しているという事実。

なにも今でなくても十分にタイミングはあったのに、ニュースに刺激されて正義(?)が芽生え、マスコミや外部機関にリークする。。

かわいそうな社長さん。

自分の会社の従業員に内部告発され、外部から調査を受け、不備や不正が明るみに出て法の裁きを受けるのと、従業員からの進言で自ら会見を開き、説明し、謝罪し、罰を受けるのでは、天と地ほど違う。

正義と愛社精神をきちんと兼ね備えた賢明な社員なら、内部に不正があることを社長にきちんと認識してもらい、会社として是正出来るよう知恵を絞り、社長自ら、内部に不正があったことを発表するよう進言するべきだろう。

修行時代にある人から教わった。仕事の上でのたとえであるが、「殺したらあかん。こかすのは、時には仕方ないこともある」

罪を犯してしまった人を公衆にさらし、贖わせることより、罪を犯さぬよう、罪をいまより大きくしてしまわぬように知恵を使うのが、教養のある人間のすることだろう。

闇討ちで不正をリークするというのは「罰する」ことに主眼を置いたアクションで、また、これまでの雇用関係を無視した人間性の低い行いだと感じる。

それよりも、いま、不正や不適切な事情を抱える会社の従業員に求められるのは、法に照らして不正をきちんと認識し、代表者ともども、信用を裏切ったことの償いをする勇気ではないか。

松下幸之助の言葉にもある。会社が間違っていると思ったら、とことん反対せよ。間違っていると思いながらそれを行うぐらいなら、黙して会社を去れ というような意味のこと。

恐れずに経営者に進言するのは情熱と誠意がないと出来ることではない。簡単ではない。しかし、それだけの誠意さえもてないのなら、その会社を去れと。

 

たたいてひとつもほこりの出ない会社などあるのだろうか?

 

さあ、あなたならどう行動するか?

 

博多もんな横道もん ~読めば納得!博多弁講座 より~

リンク: 焼酎の本場・九州・博多のよか酒屋「三宗酒街道」 ★読めば納得!博多弁講座★.

博多もん云々が気になって調べてると、なんとも惹かれる博多言葉のまとめ。

先の言い回しはこんな意味らしい。

博多っ子気質はどこか江戸っ子と似たものがある。それを言うのが「博多のもんな横道もん青竹割ってへこにかく」だ。

第三者が皮肉に言うのではなく「博多の者が横道(横着)者であることは天下公認の事実。あたき(私)だちは青竹をへし割ってふんどしに締めてみせるぐらいの心意気ば持っとるばい」と自分で意気込んでいるのだが、これまた冒頭の江戸っ子気質同様「へこの銭ぁ払いきらん」と落ちがつく。

 

 

もっと気に入ったのが、こう。

タダ酒に酔うもんな博多のツラよごし

にぎやかにパッとやる博多の宴会だが、よく観察すると客は主催者側に「こんなに楽しく頂戴しております」と、御礼の気持ちを込めてにぎやかに飲むふうが見られる。

招く者、招かれる者、互いに相手の気持ちを汲みあって楽しく運ぶ---宴会だけでなく、博多の生活習慣に共通して流れる心根でもある。

だから、招待された酒の席で、およばれ酒に度をすごして醜態を見せるのなんかは、もってのほか。節度を重んずる博多っ子の名にかけて許せないと、こんな戒めの言葉となって受け継がれる。

博多どんたく、祇園山笠など、町内の寄り合いで酒の席になることが多いが、博多の男たちは若いうちからいやというほど、この言葉を聞かされて育つ。宴会を締めくくる祝い歌や手一本に、ロレツが回らなかったり腰が立たなかったりしたら、それこそ末代までの恥じとなる。

とな。

何のきっかけでそうなったのか、博多はじっくり過ごしてみたいまちである。

仕事と家さえどうにでもなれば、住んでみたいまちである。

同じ福岡の飯塚に縁があって二度行った事があるが、やはり福岡はいい。

酒と人情に味わいが深い感じがして、とても惹かれる。