府立高校に通っていた私が2年次、3年次と担任していただいた英語の先生は、学区で伝説になるほど厳しく、父兄のボイコットにあうほど毒舌で、卒業生がみんなファンになっちゃうほど、立派な先生でした。
当時の私は自分でも不思議なくらい英語が得意だったのですが、ほとんど といって良いほど英語の勉強はせず、その先生に目をかけてもらってもそれに応える感受性をまだ持ち合わせていませんでした。おっそろしいその先生の授業で居眠るのは私くらいのもので、分厚い辞書でずしっとたたかれて目覚めることもしばしばでした。
そんな私を先生はクラスみんなに向かってこう表現しました。
「彼はガバナビリティが無いんです。 はい、調べて!」
~ いっせいに辞書を引くみんな ~
「GOVERNは統治する やが、そのABILITYとなると被統治能力となる。統治されないんや。彼は。勉強せいといってもしない。ならもうテストを受けるなといったら受ける」
なぜか先生はそういいながら大変愉快そうに笑っていました。クラスのみんなは気持ち悪いやら、しかられない私に反発するやら。そのあとも大変情熱的に指導してくださいましたが、残念ながら現役で大学には受かりませんでした。
卒業して最初の初夏、バイト帰りの乗換駅で3年次のクラスメイトがたくさん。
「どうしたん??」とわたし「F先生が今日亡くなって、お通夜」
そのときの、周りのオトが全部消えたような、血がすべて一時停止したような感覚は、あとにも先にも有りません。
いまでも、ものすごく会いたいです。ぽかぽか日差しの差し込む春の教室で大きな声で名前を呼ばれたいです。
今度は、きちんと礼儀正しい、先生に従順な受験生になります。
浪人したあと第1志望の国立大に合格したことを先生に報告できなかったのが非常に心残りです。
「ここ受けたいんですが」って相談したとき、職員室に良く通る声で 「無理や!」って言ったあの言葉が、ガバナビリティのない(あまのじゃくな)私をふるいたたせたのでした。
「ガバナビリティ」でググるとでてきた、めちゃめちゃ濃くて知的なブログ